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武田信玄と「甲州金」とは?戦国時代のお金から考える貨幣の役割



※本音声は、記事をもとにAIを活用して制作しています。一部、発音やイントネーション、漢字の読み方が不自然または正確でない場合がありますので、あらかじめご了承ください。
「風林火山」で知られる戦国大名・武田信玄。
戦や軍略のイメージが強い人物ですが、武田氏の領国だった甲斐では金山の開発が進み、「甲州金」と呼ばれる金貨が使われていました。
注目したいのは、金が採れたことだけではありません。甲州金は「両・分・朱」などの単位を持つ貨幣へと発達し、その単位は後の江戸時代の金貨にも引き継がれました。
なぜ金をそのまま使うだけではなく、共通の単位を持つ「お金」が必要だったのでしょうか。
武田信玄と甲州金を入口に、戦国時代の経済と、お金に共通のルールが必要な理由を見ていきましょう。

1.甲州金とはどのようなお金だったのか

甲州金とは、戦国時代から江戸時代にかけて、甲斐国(現在の山梨県)を中心に使われた金貨です。
「甲金(こうきん)」とも呼ばれます。
日本銀行金融研究所貨幣博物館によると、16世紀後半には中国から日本への銭貨の流入が途絶えて流通量が減る一方、戦国大名による鉱山開発が進み、石州銀や甲州金などの「領国貨幣」がつくられました。
当時のお金は、現在の「円」のように、全国どこでも同じ貨幣だけが使われていたわけではありません。
中世の日本では中国から輸入された銭貨などが広く使われていましたが、戦国時代になると、各地で鉱山開発が進み、金や銀も貨幣として存在感を強めていきます。
甲斐もその一つでした。
最初から「1両」の金貨だったわけではない

甲州金と聞くと、最初から「1両」「1分」などと価値が決められた金貨が使われていたように思えるかもしれません。
しかし、甲州金の始まりははっきりしていません。
日本銀行金融研究所貨幣博物館によると、初期には重さを量って使う金貨だったとされています。武田氏時代のものとして、板状の金貨や碁石状の金貨も出土しています。
その後、形や大きさが整えられ、「両・分・朱・糸目」といった貨幣単位が表示されるようになりました。
ここに甲州金のおもしろさがあります。
「金がある」だけではなく、その金の価値をどう表し、どう取引に使いやすくするのか。
甲州金の歴史を見ると、金という貴重な資源が「貨幣」として使いやすい形へ発達していく様子が見えてきます。

2.武田信玄と甲州金・金山の関係
では、甲州金は武田信玄がつくったのでしょうか。
ここは慎重に見ておく必要があります。
甲州金は武田氏の支配期にはすでに存在し、甲斐の金山開発や領国経営と深く関わりながら発達したと考えられています。
一方で、甲州金の始まりや武田氏時代の実態には、現在も明らかになっていない部分があります。
そのため、「武田信玄が甲州金をつくった」と単純に断定するよりも、武田氏の領国経営や金山開発との深い関係として捉えるのが適切です。
武田氏の城下町では金を加工していた?

武田氏の時代に金の加工が行われていたことを示す考古学的な証拠も見つかっています。
甲府市によると、2008年にJR甲府駅北口周辺で行われた発掘調査などで、武田信玄が活躍した戦国時代のものとみられる、金の粒が付着した土器が多数発見されました。
土器や金粒には高熱を受けた痕跡があり、金を溶かす道具として使われていたと考えられています。
こうした発見から、武田氏の城下町には、金山から産出された金を加工する工房が存在していた可能性が指摘されています。
- 金山から金が産出される
- 城下町などでは金の加工も行われる
- 金や金貨は軍資金や高額取引などにも利用される
という形で、金が領国の経済活動を支える重要な資源の一つになっていたことがうかがえます。

なぜ戦国大名は金山を重視したのか
戦国大名にとって、金は単なるぜいたく品ではありませんでした。
金には、以下のような性質があります。
- 小さくても大きな価値を持たせやすい
- 持ち運びやすい
- 腐敗しにくく保存しやすい
- 高額な取引に利用しやすい
戦を続けるには、兵糧だけでなく、武器や馬などの調達をはじめ、さまざまな経済力が必要です。
そのため、領国内から金を産出できることには大きな意味がありました。
「戦国大名の強さ」というと、兵の数や武将の能力に目が向きがちです。
しかし、軍事力を支える背景には経済力があります。
武田氏と金山の関係を見ると、戦国時代が「戦の時代」であると同時に、「経済力をめぐる時代」でもあったことが見えてきます。
3.甲州金はどのように発達したのか

金は価値の高い資源です。
しかし、金があるだけで日々の取引が便利になるわけではありません。
たとえば、取引のたびに金の重さを量り、どれくらいの価値があるのかを確かめなければならないとしたらどうでしょうか。
毎回確認する必要があり、取引には手間がかかります。
そこで重要になるのが、「この金貨はいくらの価値なのか」を共通の単位で表すことです。
実際に、一分金、二朱金、一朱金、朱中金、糸目金など、異なる単位の甲州金がつくられました。
「重さを量る」から「単位で価値を表す」へ
ここで大切なのは、「1両が今の何円に当たるのか」ではありません。
注目したいのは、金の価値を共通の単位で表せるようになったことです。
たとえば、金の塊を渡されて、「これは何グラムあるのか」「どれくらいの価値なのか」と毎回確かめるよりも、「1分」「2朱」などと価値を判断できたほうが取引はしやすくなります。
つまり、
- 金そのものを見る
- 重さを確かめる
- 価値を判断する
という手間を減らし、共通の単位を使って価値を表す方向へ進んでいったと考えることができます。

4.江戸時代に引き継がれた甲州金の貨幣単位

甲州金の興味深い点は、その仕組みが甲斐だけで終わらなかったことです。
甲州金で使われていた「両・分・朱(りょう・ぶ・しゅ)」という4進法の貨幣単位は、江戸時代の金貨にも引き継がれました。
日本銀行金融研究所貨幣博物館も、甲州金の貨幣単位が江戸時代の金貨の単位に引き継がれたと説明しています。
徳川家康は金銀鉱山を直轄化するとともに、貨幣をつくる技術を管理し、金貨・銀貨の製造体制を整えていきました。
1601年には慶長金銀が発行されます。
江戸時代の金貨でも、
1両=4分=16朱
という関係が使われました。
戦国時代に甲斐で使われていた貨幣単位が、江戸時代の金貨にも採用されたわけです。

なぜ「共通の単位」が重要だったのか
戦国時代には、多くの大名がそれぞれの領国を支配していました。
貨幣についても、各地で金貨や銀貨などがつくられています。
しかし、人や物の移動が広がれば、地域ごとに異なるお金を使う不便さが大きくなります。
ある地域で使える金貨を別の地域へ持っていったとき、「この金貨にはどれくらいの価値があるのか」「こちらでも同じ価値で受け取ってもらえるのか」が分からなければ、その都度確認しなければなりません。
だからこそ、貨幣の単位や規格をそろえることには大きな意味があります。
多くの人が同じルールで価値を判断できれば、知らない相手との取引もしやすくなるからです。
甲州金の「両・分・朱」が江戸時代の金貨へ引き継がれたことは、戦国時代の地域的な貨幣から、より広い範囲で使われる貨幣制度へ移っていく流れを考えるうえでも興味深い例です。

5.甲州金からわかる「お金のルール」

ここまで甲州金を見てくると、お金には「価値のある材料」だけではなく、もう一つ重要なものが必要だと分かります。
それが、みんなが価値を判断できる共通のルールです。
金はそれ自体に希少性があります。
しかし、金の大きさも重さも純度もバラバラで、その価値を人によって違う方法で判断していたら、取引のたびに確認が必要になります。
「両・分・朱」のような単位があれば、価値を共通のモノサシで表しやすくなります。
さらに、そのお金を受け取った人が、「自分も次の取引で使える」と思えることも重要です。

「相手も受け取る」と思えるからお金になる
たとえば、見知らぬ人から「これは私がつくった1万円札です」と紙を渡されても、普通は1万円として受け取らないでしょう。
次の店で使える保証がないからです。
一方、普段使っている1万円札は、紙そのものに1万円分の素材価値があるわけではありません。
それでも受け取るのは、ほかの人も1万円として受け取ってくれると考えているからです。
日本銀行は、お金には「交換」「価値尺度」「価値保存」という3つの機能があり、その根幹には「信用」があると説明しています。
甲州金と現代の紙幣では、貨幣の仕組みは大きく異なります。
甲州金の場合は、金という素材自体にも価値がありました。
それでも、金をより便利な「お金」として使うには、価値を表す単位や、それを受け入れる社会的な仕組みが必要です。
価値を共通のルールで表せること。そして、その価値を相手も認めてくれること。
これは、戦国時代の甲州金から現代のお金まで通じる重要なポイントです。

まとめ|甲州金から見える「金がお金になる仕組み」

武田信玄というと、川中島の戦いや「風林火山」といった軍事面が注目されがちです。
しかし、「お金」という視点から見ると、武田氏の領国だった甲斐には金山があり、金を加工し、経済活動に利用する環境があったことが見えてきます。
甲州金は武田氏の支配期にはすでに存在し、甲斐の金山開発や領国経営と関わりながら発達したと考えられています。
そして、甲州金には「両・分・朱・糸目」という単位が設けられ、
1両=4分=16朱=64糸目
という共通のルールがありました。
そのうち「両・分・朱」という単位は、江戸時代の金貨にも引き継がれていきます。
ここで重要なのは、「昔の1両はいまの何円なのか」ということだけではありません。
甲州金の歴史から見えてくるのは、価値のある金を、どうすれば多くの人が取引に使える「お金」にできるのかという問題です。
- 価値を共通の単位で表す。
- 相手もその価値を認める。
- 受け取ったお金を、また別の取引で使える。
こうした共通のルールと信用があるからこそ、お金は人と人との取引をつなぐことができます。
戦国時代の甲州金を知ることは、武田信玄の時代を違う角度から見るだけではありません。
私たちが普段使っている「お金はなぜお金として使えるのか」を考える入口にもなるのです。

戦国時代の貨幣に関するQ&A
Q1. 甲州金とは何ですか?
A. 甲州金とは、戦国時代から江戸時代にかけて甲斐国を中心に使われた金貨です。
「甲金」とも呼ばれます。初期には重さを量って使う金貨だったとされ、その後、「両・分・朱・糸目」などの単位を持つ貨幣として発達しました。
Q2. 甲州金は武田信玄がつくったのですか?
A. 甲州金は武田氏の支配期にはすでに存在し、甲斐の金山開発や領国経営と深く関わりながら発達したと考えられています。
ただし、甲州金の始まりや武田氏時代の実態には明らかになっていない部分もあります。そのため、「武田信玄が甲州金をつくった」と単純に断定するのではなく、武田氏と甲州金には深い関係があったと捉えるのが適切です。
Q3. 甲州金の「1両=4分=16朱」とはどういう意味ですか?
A. 甲州金では「両・分・朱」という4進法の貨幣単位が使われ、「1両=4分=16朱」という関係になっていました。
さらに細かな「糸目」もあり、「1両=4分=16朱=64糸目」となります。「両・分・朱」という単位は、その後の江戸時代の金貨にも引き継がれました。
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