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英国はなぜポンドを守れなかった?「ブラックウェンズデー」とは



※本音声は、記事をもとにAIを活用して制作しています。一部、発音やイントネーション、漢字の読み方が不自然または正確でない場合がありますので、あらかじめご了承ください。

1992年9月16日、英国政府はポンドを守るため、大規模な為替介入と金利の引き上げに踏み切りました。
それでも売りは止まらず、英国はその日の夜、欧州為替相場メカニズム(ERM)への参加を停止します。
この日が「ブラックウェンズデー(暗黒の水曜日)」です。
ブラックウェンズデーは、著名な投資家がポンド売りで巨額の利益を得た事件として語られがちです。しかし、投資家が何もないところから危機を生み出したわけではありません。
当時の英国は景気後退に苦しみ、金利を引き下げたい状況でした。これに対し、ERMの中心だったドイツでは、東西統一後のインフレを抑えるため、高い金利が必要とされていました。
英国経済には利下げが必要なのに、ポンドを守るには高金利を続けなければならない。この政策の矛盾を市場に見抜かれたことが、通貨防衛を難しくしたのです。
この記事では、ERMの仕組みからポンド売りが加速した理由、ブラックウェンズデー当日の動き、現在の為替相場にも通じる教訓まで順を追って解説します。

1.ERMとは為替レートを一定の範囲に保つ仕組み

欧州為替相場メカニズム(ERM)は、欧州各国の通貨が大きく変動するのを抑えるため、1979年に発足した欧州通貨制度(EMS)の一部として設けられました。
参加国は基準となる交換レートを設定し、市場の為替レートが決められた範囲から外れそうになれば、為替介入や金利政策によって押し戻します。ERMは、その後の経済・通貨統合へつながる土台の一つにもなりました。
英国がERMへ参加したのは、1990年10月8日です。ポンドとドイツマルクの中心レートは1ポンド=2.95マルク、認められる変動幅は中心レートの上下6%に設定されました。
英国が参加を決めた大きな目的は、国内のインフレを抑えることでした。
ポンドを、物価の安定を重視するドイツマルクに結び付け、英国も厳格な金融政策を続ける姿勢を示すことで、市場の信頼を高めようとしたのです。
英国はERMへの参加と同時に金利を15%から14%へ引き下げました。その後も、景気後退とインフレ率の低下を受けて、金利は段階的に引き下げられます。
しかし、ERMへ参加したことで、英国は国内景気だけを見て自由に金利を決めにくくなりました。
ポンドが下限へ近づけば、英国政府とイングランド銀行は外貨を売ってポンドを買い支え、必要に応じて金利も引き上げなければなりません。
為替レートの安定を得る代わりに、国内の事情に合わせて金融政策を動かす自由が狭まったということです。

2.英国とドイツで必要な金融政策が正反対になった

ERMの事実上の中心通貨は、経済規模が大きく、物価の安定に対する信頼も高かったドイツマルクでした。
参加国が自国通貨をマルクに対して一定の範囲に保つには、ドイツの金利政策を無視できません。金利差が広がれば、より高い利回りを求める資金がドイツへ流れ、ほかの通貨が売られやすくなるためです。
ところが、1990年代初めの英国とドイツは、同じ金融政策が適する状態ではありませんでした。
英国では、1980年代後半の景気拡大と不動産価格上昇の反動から、1990年代初めに景気が後退します。住宅ローンを抱える家計や借入金のある企業にとって、高い金利は大きな負担でした。本来であれば、金利を引き下げて景気を支えたい局面です。
ドイツでは、1990年の東西統一に伴って財政支出と需要が増え、インフレへの警戒が強まっていました。ドイツ連邦銀行は物価上昇を抑えるため、高い金利を維持します。
ドイツの高金利はマルク買いにつながります。ポンドを決められた範囲へ保つには、英国も高金利を維持し、資金流出を防がなければなりません。しかし、それでは住宅市場や企業活動をさらに冷え込ませます。
英国が景気を優先して利下げに動けばポンドが売られ、ポンドを守ろうと高金利を続ければ国内景気が悪化する。
どちらを選んでも負担が生じる状態になっていました。
市場では次第に、「英国政府は景気を犠牲にしてまで現在の為替レートを守り続けられないのではないか」という見方が広がっていきます。

3.なぜ投資家はポンドを売り続けたのか

市場参加者が見ていたのは、ポンドの価格だけではありません。英国政府がERM参加と高金利をどこまで続けられるかでした。
ポンドがERMの下限へ近づくと、投資家は、英国がいずれ中心レートを引き下げるか、ERMへの参加を停止する可能性があると考えます。
そこで、値下がりが予想されるポンドを売り、ドイツマルクなどを買う取引が増えました。
英国政府とイングランド銀行が外貨を売ってポンドを買い支えても、市場が「現在の政策は長く続かない」と判断していれば、売りは再び膨らみます。
特定の通貨へ売りが集中し、政府や中央銀行が維持する為替レートを揺さぶる動きは、一般に「投機的攻撃」と呼ばれます。
ただし、売りを仕掛ければ、どの通貨でも下落させられるわけではありません。
ブラックウェンズデーの前には、英国の景気後退、ドイツとの金利政策のずれ、ポンドの為替水準への疑問など、現在の制度が長続きしにくいと考えられる材料がそろっていました。
1992年にはイタリア・リラなど、ほかの欧州通貨にも売り圧力が広がります。市場参加者の間で、各国が設定された為替レートを守る意思と能力への疑いが強まり、ERM全体を揺るがす通貨危機へ発展しました。

4.ブラックウェンズデー当日に何が起きた?

1992年9月16日、ポンドへの売り圧力は一段と強まりました。
英国政府とイングランド銀行は大規模な為替介入を行い、外貨を売ってポンドを買い支えます。さらに、当時10%だった金利を12%へ引き上げると発表しました。その後、追加措置として15%まで引き上げる方針も示します。
金利を上げてポンド建て資産の利回りを高め、売りを抑えて英国へ資金を呼び戻す狙いでした。
それでも相場は持ち直しませんでした。
市場参加者は、景気後退中の英国が15%もの高金利を続けるのは難しいと考えていました。利上げ発表は、反対にそこまでしなければポンドを維持できないほど追い込まれていると受け止められた面もあります。
同日の夜、英国政府はポンドのERM参加を停止しました。15%への金利引き上げは実施される前に撤回され、ポンドは変動相場へ戻ります。
英国がERMから離れた後、ポンドは大幅に下落しました。通貨防衛に失敗しただけでなく、政府の経済政策に対する信頼も傷つきます。
こうして1992年9月16日は、英国にとって屈辱的な一日を表す「ブラックウェンズデー」として記憶されることになりました。

5.ブラックウェンズデーからわかる通貨防衛の限界
ブラックウェンズデーは、「大規模な投資家が中央銀行に勝った事件」と説明されることがあります。
注目すべきなのは、投資家の規模だけではありません。英国が国内景気に必要な政策と、為替レートを守るための政策を両立できなくなっていた点です。
為替レートを守ると金融政策の自由が狭まる
固定相場制や一定の変動幅を設けた制度では、国内の景気や物価だけでなく、基準となる国との金利差や資金の流れも考えて政策を決める必要があります。
英国とドイツの景気が異なる方向へ動いたとき、英国は国内景気の立て直しとポンド防衛を同時に実現できなくなりました。
金利を上げれば必ず通貨を守れるわけではない
利上げは、通貨を買う動機を強める手段の一つです。
しかし、市場が「その金利は長く続かない」と判断すれば、効果は限られます。景気後退中の極端な利上げは、政策を続けられないとの見方を強めることもあります。
為替介入に使える外貨には限りがある

政府や中央銀行が自国通貨を買い支えるには、保有する外貨を売る必要があります。自国通貨は発行できても外貨は無制限ではなく、市場の売りが介入の規模を上回れば、同じレートを守り続けるのは困難です。
投機筋は政策の矛盾を見ている
投機的な売りは通貨危機を加速させますが、経済の基礎条件と政策に大きな矛盾がなければ、必ず成功するわけではありません。
ブラックウェンズデーでは、英国経済に必要な金利と、ポンドを守るために必要な金利がかみ合わなくなっていました。投資家は、その矛盾がどこまで続けられるのかを見ていたのです。
FXで政府や中央銀行の政策を見るときも、「この水準を守ると発言したから、相場は必ず維持される」と考えるのは危険です。
政策の言葉だけでなく、金利、外貨準備、国内景気への負担を含め、その政策を続けられるかまで確認することが大切です。
まとめ

ブラックウェンズデーとは、1992年9月16日に英国がポンドを守り切れず、欧州為替相場メカニズムへの参加を停止した出来事です。
英国は1990年、1ポンド=2.95マルクを中心に、上下6%の範囲へ保つ条件でERMに参加しました。
ところが、英国では景気後退が進み、金利を引き下げたい状況になります。ドイツでは統一後のインフレを抑えるため、高い金利が維持されました。
英国経済には利下げが必要でしたが、ポンド防衛には高金利が必要でした。この矛盾を市場に見抜かれ、売りが加速します。
1992年9月16日、英国政府は大規模な為替介入を行い、金利を10%から12%へ引き上げ、さらに15%とする方針を発表しました。それでも売りを止められず、同日の夜にERM参加を停止します。
ブラックウェンズデーが示したのは、政府や中央銀行が強く通貨防衛を宣言しても、経済状況に合わない為替レートを無期限に守れるとは限らないということです。
為替相場を見る際は、政策当局の発言だけでなく、その政策に無理がないか、続けるための負担に耐えられるかという視点も欠かせません。

よくある質問
Q1. ブラックウェンズデーはジョージ・ソロスが起こしたのですか?
A. ジョージ・ソロス氏を含む多くの投資家がポンド売りを行いましたが、一人の投資家だけが危機を起こしたわけではありません。
英国とドイツの経済状況の違い、ポンドの為替水準、景気後退下で高金利を続ける難しさなど、通貨防衛を続けにくい背景がありました。投資家の売りは危機を加速させましたが、その前から政策上の矛盾が生じていたのです。
Q2. 英国はなぜ金利を15%まで上げようとしたのですか?
A. 金利を上げてポンド建て資産の利回りを高め、ポンド売りを抑えるためです。
英国政府は金利を10%から12%へ引き上げ、さらに15%とする方針を示しました。しかし、市場では景気後退中に高金利を続けるのは難しいと見られ、ポンド売りを止めることはできませんでした。15%への引き上げは、実施前に撤回されています。
Q3. 英国はERM離脱後、経済危機になったのですか?
A. ERM離脱直後はポンドが下落し、政府の経済政策への信頼も大きく傷つきました。
その一方で、離脱後は英国の景気に合わせて金利を引き下げやすくなります。英国は同年10月にインフレ目標を導入し、その後、経済は回復へ向かいました。
ERM離脱だけが景気回復の原因だったとは言い切れませんが、国内経済に合った金融政策へ切り替える契機になったと評価できます。
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