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商売を自由にすると町は豊かになる?織田信長の「楽市楽座」と市場競争



※本音声は、記事をもとにAIを活用して制作しています。一部、発音やイントネーション、漢字の読み方が不自然または正確でない場合がありますので、あらかじめご了承ください。
織田信長の経済政策として有名な「楽市楽座」。
学校では「座を廃止して、誰でも自由に商売できるようにした政策」と習った記憶がある人も多いでしょう。
大まかなイメージとしては間違いではありません。ただ、楽市楽座を「信長が古いルールをすべてなくし、日本で初めて自由市場をつくった」と考えると、実際の姿とは少し違ってきます。
中世の商業には、商売をする権利や場所をめぐるさまざまな仕組みがありました。信長が行った政策も、単にルールを減らしただけではありません。商人の負担を軽くし、人や物を城下町へ集め、安心して取引できる環境を整えようとしたものでした。
しかも、少なくとも「楽市」は信長以前にも行われていたことが確認されています。滋賀県は1549年、近江の六角氏のもとで石寺新市に設けられた楽市を「史上最初の楽市」と紹介しています。
楽市楽座を詳しく見ていくと、現代の「規制緩和」「新規参入」「市場競争」を考えるヒントも見えてきます。
1.楽市楽座とは?

楽市楽座を理解するには、最初に「市」と「座」が何だったのかを押さえておく必要があります。
中世の「市」は、現在の商店街やスーパーマーケットとは少し違います。決められた日に商人や買い手が集まり、さまざまな商品を売買する定期市が各地で開かれていました。日本銀行金融研究所貨幣博物館の資料からも、中世には各地で市が開かれ、銭貨を使った取引が広がっていた様子を確認できます。
そして、商人や職人の中には「座」と呼ばれる同業者の集団をつくる人たちがいました。
座は、寺社や権力者との関係を背景に、特定の商品を製造・販売する権利などを認められることがありました。たとえば中世の大山崎では、離宮八幡宮に属する神人が油座の特権を得て、荏胡麻の仕入れから油の製造・販売までを担っていました。
こうした仕組みは、商人や職人の営業を守る役割を持つ半面、その権利の外にいる人にとっては商売へ参入しにくくなる要因にもなります。

そこで登場するのが「楽市」「楽座」です。
楽市は、市場での商売にかかる制約や負担を軽くし、座に属していない商人にも営業を認めるなど、市場へ参加しやすくする政策です。楽座は、座が持つ独占的な権利をなくしたり弱めたりする考え方を指します。
もっとも、全国共通の「楽市楽座制度」が存在したわけではありません。どの負担を免除するのか、どの権利を認めるのかは、地域や時期によって異なります。
「楽市楽座」という言葉だけで、当時の商業政策を一つの形に決めつけないことが大切です。

2.商売に参加するための負担

現代でも、新しく商売を始める際に許認可や設備、手数料などが必要な業種があります。中世の商人にも、商売を続けるためのさまざまな負担がありました。
座に属する商人は営業上の権利を得られる場合がある代わりに、寺社などへの奉仕や負担を伴うことがありました。商品を運ぶ商人にとっては、移動や市場での取引に伴う負担もあります。
こうした状況の中で、営業の障壁や税・役などを軽くすることは、商人を呼び込む手段になりました。ここで注意したいのは、楽市楽座が「商売のルールを全部なくす政策」ではなかったことです。
信長が1577年に安土城下へ出した「安土山下町中掟書」では、安土を楽市とし、諸座や諸役、諸公事などの負担を免除することが示されています。同時に、街道を行き来する商人を安土へ立ち寄らせる規定や、喧嘩、口論、押し売り・押し買いなどを禁じる決まりも設けられていました。
つまり、自由にする部分と、守らせるルールの両方があったのです。

現代風に言えば、何をしてもよい市場をつくるのではなく、商売へ参加するハードルを下げながら、取引しやすい環境を整える政策だったと考えると分かりやすいでしょう。
座についても、「古い悪い制度だったからなくした」と単純に考える必要はありません。当時の社会では、商人や職人の営業を支える仕組みとして機能する面もありました。
既存の商人を守る仕組みが強くなれば、新しい商人は入りにくくなる。そのバランスを組み替えることが、楽市楽座の重要な側面だったのです。

3.信長が楽市楽座をすすめた目的

織田信長は1567年、美濃へ本拠を移し、岐阜を天下統一に向けた拠点としていきました。
この岐阜で信長が出したものとして知られているのが、楽市楽座の制札です。
ここにも興味深い点があります。
岐阜市の資料では、信長は1567年と翌年に制札を出し、「以前からあった楽市場の権利を保障した」と説明されています。信長が何もない場所に突然新しい自由市場をつくったというより、既存の市場を利用しながら商業を活性化させた面があったことが分かります。
その後、信長は1576年に安土城の築城を始め、翌1577年6月には城下町へ「安土山下町中掟書」を出しました。

安土の政策を見ると、信長の狙いが単なる商売の自由化ではなかったことがよく分かります。
商売上の負担が軽い町なら、商人は進出しやすくなります。商人が集まれば商品が増え、それを買う人も集まります。人の往来が増えれば、宿泊、飲食、運送、職人の仕事など、別の商売も生まれやすくなります。
そのためには「自由に商売してよい」と宣言するだけでは足りません。
安土では商人の負担を軽くするとともに、街道を通る商人を町へ寄宿させる規定を設け、喧嘩や押し売りなども禁止しました。
商売のしやすさ、交通、人の流れ、治安。こうした条件を組み合わせて、商人や住民が集まる町をつくる。
楽市楽座は経済政策であると同時に、城下町を成長させるためのまちづくり政策でもあったと見ることができます。

4.競争が商品や価格に与える影響

楽市楽座を現代の市場競争と重ねると、「新しく商売へ参加する人を増やす」という共通点が見えてきます。
仮に、ある町で一つの商品を限られた商人しか売れないとしましょう。買い手にとって、店を選ぶ余地はあまりありません。
そこへ新しい商人が参入できるようになれば、買い手は複数の店を比べられます。
商人側にも、選んでもらうために価格を工夫したり、品ぞろえを増やしたり、商品やサービスを改善したりする動機が生まれます。
現代の公正取引委員会も、独占禁止法の目的について「公正かつ自由な競争」を促進することを挙げています。市場で競争が機能すれば、事業者は創意工夫によって、より安く優れた商品を提供しようとし、消費者は自分のニーズに合った商品を選びやすくなるという考え方です。
もちろん、楽市楽座によって実際に商品の価格が下がった、と単純に断定することはできません。
商品の価格は、供給量や需要、運送費、天候、治安など多くの条件に左右されます。商人が増えたことだけを理由に、当時の価格変化を説明することはできないからです。
また、楽市楽座と現代の自由市場は同じものでもありません。
現代では、新規参入を妨げる仕組みを見直すだけでなく、カルテルや私的独占、不公正な取引などを防ぐ法律があります。
「市場へ入りやすくすること」と「公正に競争できるルールをつくること」は、反対の考え方ではありません。参加者を増やしながら、特定の企業だけが不当に市場を支配しないようにする。現代の市場では、その両方が求められています。

5.楽市楽座から学べること

楽市楽座という言葉は信長と強く結びついているため、信長が最初に考え出した政策だと思われがちです。
しかし、少なくとも楽市については、信長以前の例が確認されています。
滋賀県によると、1549年、近江の六角氏のもとで「石寺新市」に楽市が設けられました。同県はこれを「史上最初の楽市」と紹介し、座に属していない者にも自由な商売を認める政策だったと説明しています。
信長が岐阜へ本拠を移した1567年より18年前です。
さらに岐阜でも、信長が以前から存在していた楽市場の権利を保障したことが岐阜市の資料で確認できます。
そのため、「信長が日本で初めて楽市を始めた」と説明するのは正確ではありません。
信長の特徴は、まったく新しい制度をゼロから発明したことに求めるより、既存の市場や政策も利用しながら、岐阜や安土の城下町づくりの中で商業を活性化させた点に見るほうがよいでしょう。
そして、ここには現代の規制緩和にも通じるヒントがあります。
新しく商売を始める人の負担を減らせば、それだけで市場が必ず発展するわけではありません。
商品を買う人がいること。物を運べること。安心して取引できること。新しく来た人が活動しやすいこと。さまざまな条件がそろって、初めて人や商売が集まりやすくなります。
逆に、既存の仕組みを守ることばかりを優先すれば、新しい商人や商品が市場へ入りにくくなり、競争が弱まることもあります。
大事なのは「規制があるか、ないか」だけではありません。
新しい参加者を必要以上に締め出していないか。参加した人が公平に競争できるか。安心して取引できる環境があるか。
楽市楽座は500年近く前の政策ですが、そこで考えられた「人や商売をどう呼び込むか」という問題は、現在の市場にもつながっています。

まとめ
楽市楽座は、「織田信長があらゆる商売のルールをなくし、日本で初めて完全な自由市場をつくった政策」ではありません。
中世には、座などによって商人や職人の営業が守られる仕組みがありました。その仕組みは営業を安定させる半面、外部から新しい商人が参加しにくくなる要因にもなります。
楽市楽座では、こうした権利や負担を見直し、商売へ参加しやすい環境づくりが進められました。
信長はさらに、岐阜や安土の城下町づくりと組み合わせて、人や商品を集めようとしました。安土では商業上の負担を軽くするだけでなく、交通や治安、町の秩序に関するルールも設けています。
そして、楽市は信長より前の1549年に、近江の石寺新市でも確認されています。
楽市楽座から学べるのは、「ルールをなくせば経済が成長する」という単純な話ではありません。市場へ参加しやすくしながら、公平で安心して競争できる環境をどう整えるかという考え方です。
現代の規制緩和や市場競争を見るときにも、500年近く前の楽市楽座から考えられることは意外に多いのです。

楽市楽座に関する質問
Q1. 楽市と楽座は何が違うのですか?
A. 楽市は、市場で商売する際の制約や負担を軽くし、座に属していない商人にも営業を認めるなど、市場へ参加しやすくする政策です。
楽座は、座が持っていた独占的な営業上の権利をなくしたり弱めたりする考え方を指します。ただし、実際の内容は地域や時期によって異なります。
Q2. 楽市楽座は織田信長が最初に始めたのですか?
A. 少なくとも楽市については、信長が最初ではありません。
滋賀県は、1549年に近江の六角氏のもとで石寺新市に設けられた楽市を「史上最初の楽市」と紹介しています。信長はその後、岐阜や安土の城下町政策の中で楽市楽座を活用しました。
Q3. 楽市楽座は現代の自由市場と同じですか?
A. 同じではありません。
新しい商人が参加しやすくなるという共通点はありますが、戦国時代の城下町政策と、独占禁止法などによって競争のルールが整備された現代市場では前提が異なります。現代では、市場への参入だけでなく、公正な競争を守る仕組みも重視されています。
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